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幼少期はクソ人生。今、家族ってあったかいって思っています!

time 2017/09/29

幼少期はクソ人生。今、家族ってあったかいって思っています!

ようこそ!

この先には私の人生を綴っています。時間のあるかたは笑いながらよんでいただければ幸いです。*この記事は、2017年11月4日に更新しています。

 

weber。運営者プロフィールです。

・名前 小野良一

・年齢 1972年生まれ現在45歳。みずがめ座のA型で秋田県在住です。

・妻

・長男

・長女

・次女

・三女

という家族構成です。

長男と長女は既に結婚していて家庭をもっています。ちなみに3人の孫がいます。(クソじじいにされました)

天国の使いが来たようです。。クリックすれば身体が浮いていきます(うそ)

生い立ち。あのころまでは良かったな

親父は長男でしたので、結婚をしてから実家で住むことになったというはなしでした。

同居生活。私が生まれた当時は多かったのでしょうか。(45年前です)くわしい生活内容は聞かされたことはなかったのですが、いろいろあったでしょう。そんな気がしています。

こんな話はいらないですね、気分をかえて生後100日記念写真をどーぞ

完全なるお相撲さんバリですね!「余裕のくちぶえ」かましています。

*これは甘やかされて育つとこうなるっていうおしえですね…

出家騒動ってのはどこにでもあるの?その日から転がる生活のようだったと何となくおぼえています。

やっぱりダメみたいでした。

体力の限界だったのか、実家をでることになったみたいです。それで長屋みたいなアパート生活とか聞いてますが、そこでの思いではないですね。2年も住んでいたんでしょうか。

時はたち、わたしは3歳になりました。つぎの画像は衝撃です!外国にでも引っ越したんでしょうか…

服装からして、ここはアマゾンでしょうね!

しかも、狩で捕まえた何かを腹いっぱい食べた後でしょう。(腹に注目!)笑ってるので満足はしているようです。

 

この夏を過ぎたあたりから、長屋をでて一軒家を借りて住むことになったんですが、ここからの記憶が今でも鮮明に残っているんです。この3年のあいだに2箇所住むところをかえて転がり三昧でしたし、友達にも「おまえの本当の家はどこなんだよ!」といういじめにもあいましたし、良いことなんてなかったなと今になっても思い出します。

そんな中…

親父、新築を建てた!小学校2年の秋、借家人生終了しました。そこから始まった転落人生と家が家でなくなった実録。修羅場体験だけはしたくなったけど、人生とはドロドロしていたんです。

でました、新築一戸建て!

秋なのに春が来たって話んですね、もう最高でいうことなしでした。(エアコンなしですが)良くやってくれました親父さん。これで俺も自慢ができるし、伸び伸びいきていけると確信に変わりました。

 

新居で初の誕生日をお祝いしてもらっていました。

こんなに幸せそうな光景だったんですが、人生はうまくは回らなかったんです。

 

冬を迎えるころになれば出稼ぎが恒例行事だったんですね家は、東京に行けば5ヶ月も帰ってこないんです。そうなれが母親が自由になってくる。

当時、母親は内職をしていたんですが辞めたんでしょうか仕事をしなくなったんです。そんなこんなで数日後、夜になると化粧をして一言残して出ていく。そう、誰も頼んでもいないのに水商売の仕事をはじめました。

そのころ、妹はまだ1歳で大変なときだったんですね。母親ってそんなものなのかと、ほんとうに残念でしたね。夜は毎日二人だけですし「おしめの取り替え」も毎晩しました。夜中になればグズりますのでミルクの温度をかくにんしてつくって飲ませるていました。

これが本当につらかった。

妹も泣いてたし、息殺して一緒に泣いてました。せっかく新しい家に住めたのに勝手な行動でこうなれば先は見えているようでした。

夜中、家の中に男がいる。

こんなことがあるんです。こたつで母親と男が寝ていた。

もう終わりが見えた瞬間でしたし、それを見られた母親は『父さんに言うなよ』と、

言えるわけないんです。母親が好きだから。

でも、小学校2年のころだったんですが、これで終わるなってことは何となく気が付いていましたし、夜になれば東京にいる父親から電話がくるので母親がいないことを隠し切れなかったのもつらいかったです。

電話では私も父親に攻められる有様。

しらねーよ!そんなの!!俺何も悪くねーよって言いたかっですもん。面倒見てるの俺なのにっていつも思ってたし、小学校2年にはお前らより辛いんだって一言いいたかった。

いってやりたかった。

 

父親帰ってくる。別れ話はじまって母親出て行く。

出稼ぎから帰ってきた父親。

すぐに別れたいという母親と数ヶ月間その話だけの空間がひろがっていました。

 

そのときも二階でいもうとの面倒をみながらでしたので、そうなるのかなって聞き耳たててましたね。寝る頃になれば母親が私たちのところにきて「ごめんね」っていうんです。

 

それは、ここから出て行くこと意味していました。

 

大きなボストンバック2つ両手いっぱいにして、元気でねっていって歩いていったんです。

 

今の俺だったら行けねーよ!よく行けたもんだなよ。

何なんですかね、こんなのってありなんですかね。

これ書いていても悔しいんです。涙出るんですよ。

 

それからというもの、私たちはおばちゃんに育てられられました。何を言っても学校行事とかの日がなくなってくれればいいと思ったり、他の家族をのことを見るのがきらいになったりと良いことは考えられなくなっている自分を感じていました。

捨てられた想いが強かったかもしれませんね。

これが、私に幼少時代でした。

学歴としては並。暇だったので準備をしていたので声が掛かる選手へと駆け上がった

普通に中学校に通い、部活としてはバスケットボール部に入っていてボールに振り回される一面もあったくらいちびっ子でした。147センチくらいしかなかったですからね。

1年生のときは17番。2年生のときは12番。

まるっきりのスタベンでした。(スタートからベンチをあったか~くするのが仕事です)

あまりの暇さに、やることもなく、準備だけはしているんです。(仕事ですから)

とうとう、3年生の春がきて監督も変わりました!よし、とにかく背番号はどうなる?!

もう頭のなかはそれしかないんですよね。

 

 

そして、待ちにまった春、背番号が発表の日~

10番、小野!!

リョウイチです…監督、何もわかってくれないとです。

ね、人生あまくはないとです。

 

そんな時、事件です!!

当時、バスケ部というのはこんな感じだったんです。そうヤンチャヤンチャ軍団w

まゆげは剃る、髪型かっこつける、バッシュの紐は結ばない、女子バレー部を気にしすぎる

もう、やりたい放題だったんです。そんな中、練習になればバスケの指導ではなくなる訳なんですよね!「まゆげ剃ったろ!」だとか「バレー部見るなとか」でね(爆笑なのよ)

練習試合になっても、タイムアウトのときその話になるもんだから監督もキレるんです。むかしはどの部活もあったと思いますが、バスケ部ってかっこつけマンの塊でした。はい。

そんときって、スタベンに声がかかるんです。

おの!!!

きたーーーーーきたきたーーーーー

ヤッホイ!出番ですってっっっ

 

世の中、やっぱり準備がたいせつですね。まゆげ剃らない、紐は結ぶ、ケツを追わない。

いや、ベンチからケツは追えます。しかし、ここからが勝負なのであとで追います!そのときからですが、ものすごい確率で試合に出してもらっていたんです。(ありがたかったよー)

 

うん、最後の予選大会のときなんかですね、1回戦目から優勝候補とですからね死ねるんですこれまた。作戦としてはこうでした。

 

・100点ゲームを阻止するためフロントコートに入ったらセンターサークルのところでチェストパスを繰り返す。

・取りに来られたらボールをセンターにボールをまわてシュートを狙う。

これの繰り返しです。

 

どうですか、これが中学校最後のバスケットボール予選の戦い方です。結果としては、57対12で負けてしまいましたが100点ゲームを逃れることができました。

それでは10番、小野さんの成績。6点です!スタベンちびっこギャングが半分取りました!!すべてロングシュート(いまでいう3ポイント)3/4です。負けたけど俺はハッピー。

これが、中学校の思い出ででした。

 

すごく長くなってきまいした。

ここらで、いったんCMで~す!!

えっ?!

おのです(笑)てか、鼻の下のびてるやないかい!!

バレー部見てますね、この顔は。見すぎだろって話ですよね。

 

高校時代。終盤戦学校ほとんど行ってないけど卒業はしています。ちょっと勝手な頃でした。

はい。普通高校です。

もちろんバスケやりました。そのころには少し身長ものびて175センチになり、ホッとしていました。てか、よく伸びてくださいました。いや、あの鼻の下の持ち主ですからね!

いたるところ伸びてくるんです年頃ですから。

画像は出せませんけどね

 

バスケ部ありましたが、同好会。なんでやねんっっっ!!人気とお金がなかったんですかね。それとも学校が認めてくれなったんすかね。事情はわかりませんし、試合もボロボロでございました。よわいバスケ部でして…

 

バスケ以外は、バンド活動をしていた時期でもありました。まあボーカルってやつです。上手いとか下手とかでいえば上手いほうですという情報は残しておきます。ですが、はあ?!となることも間違いではないので、今度ブログカテゴリーで生歌を披露したいとおもいます。

そこで判断していてだければいいかなと。

 

歌いかたとしたらアカペラですね。レパートリーとすればこんな歌をつぶやきながら歌います

・氷室京介さん、バラード

・玉置浩二さん、メロディとその他

・矢沢永吉さん、バラード

などです。

カテゴリーの名前のところでまだ迷いがあるので、バーをイメージにしたコンテンツで行きたいとおもっています。

 

話しそれましたね。もどります。3年のときは学校やすんでいました。

でもね、担任がよかった。たすけられました。学歴としてはこれで終わりなんです。簡単でごめんなさいね。

 

てか、やばいです。4000文字超えています。これ以上書けるか不安です。最後になりましたが、家族で撮った写真を貼って私のぷろふぃーるにしたいと思います。

長男、長女は写っていませんが、いま、生活を共にしている「妻、次女、三女です」

さいごまで読んでいただき、ありがとうございました!

onoryoichi

 

 

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こんにちは、onoryoichiです。 1972年生まれ、秋田県在住。 40代になって始めたブログ活動!パソコン初心者でしたが何故かはまってしまい続けています。時間のつかいかたを覚えればどんなことでも残していけるので「ブログをかいてみたい!」とおもっている「あなたにもオススメです」情報発信って以外におもしろいよ。 詳しいプロフィールはこちらです→ [詳細]

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